☆☆☆ドラドラしゃっちー☆☆☆ 《のほほ〜ん日記》 › … ドラ伝説
2024年07月27日
ドラゴンズOB戦 2024
7月25日に開催された
ドラゴンズ球団初のOB戦
「DRAGONS CLASSIC
LEGEND GAME 2024」を
現地観戦してまいりました。

『昇竜チーム』のスタメンは、
一番田尾・二番平野から始まり
宇野・川又・中尾・上川・小松…
『強竜チーム』豊田・鈴木孝、
さらに谷沢監督を含め
1982年の優勝メンバーが勢揃い。
他にも水谷・都・堂上(父)等
豪華な面々を前にし、
狂喜乱舞した高校時代の記憶が
たいへん懐かしく蘇りました。

世代を超えた各選手が
登場するたびに、
それぞれ当時の思い出が
その都度脳裏に浮かんでくる…
そんなひとときとなりました。

ぜひぜひ これからも、
定期的に開催されますよう…
心より望んでいる
ワタクシでございます。(^ ^)

7月25日、中日ドラゴンズ球団初のOB戦「DRAGONS CLASSIC LEGEND GAME 2024」がバンテリンドームナゴヤで行われた。
ファン目線で言えば、「やっと、ついに、開催された」という思いだ。近年では19年にヤクルト、今春に西武が実施。いずれも大盛況のうちに終わっており、いよいよ自分たちの番がやってきた喜びでいっぱいだったのだ。
■“緊張と緩和”、そして“ガチ感”
OB戦の何が楽しみか。ズバリ“緊張と緩和”、そして“ガチ感”である。
前者は往年の名選手が思うように身体を動かせないのを目の当たりにし、現役時代とは異なる姿に力がフッと抜けるような状況。後者は現役時代さながらのパフォーマンスや、投打の一騎打ちに唸ること。こちらは7月22日に行われた「日韓ドリームプレーヤーズゲーム」で感じたことでもある。
では、今回の中日OB戦はどうだったか。しっかり「緊張と緩和」を体感できたし、「ガチ感」も随所に感じられた。
「緊張と緩和」でいうと、初回の小松辰雄氏と中尾孝義氏の1982年優勝バッテリーはオールドファンの力が入るには十分すぎる演出だが、投球練習で何度もボールを逸らすなどグダグダなスタート。のっけから3失点を喫する形となった(なお、小松氏はスパイクを履けておらず、硬いマウンドに合わなかった旨を降板後に明かしている)。
また、三塁を守った宇野勝氏は横っ跳びでの好捕や逆シングル捕球で魅せるも、いずれもスローイングまでは身体がついていかず。場内も「おおっ」となった後に「あ~」と、ため息混じりの笑いと拍手に包まれていた。
一方、最も「ガチ感」を感じられたのは英智氏である。現役時代さながらのスライディングキャッチやレーザービームを見せつけ、打席でも中押し点となる2点タイムリー三塁打を記録。見事、最優秀選手に輝いた(独特な言葉を紡ぐヒーローインタビューも現役時代のままであった)。
究極の「緊張と緩和」かつ「ガチ感」は最終7回に訪れた。2点リードの強竜チームは岩瀬仁紀氏がマウンドへ。対する昇竜チームの先頭打者は小笠原道大氏。通算407セーブを挙げたプロ野球史上屈指のクローザーと、強烈なフルスウィングで通算2120安打&378本塁打を記録したスラッガーの一騎打ち。これを堪能しようとした矢先、アイスキャンデーを頬張る田尾安志氏と福留孝介氏がビジョンに大写しに。
最高峰の対決を見守ろうと球場中が固唾を呑む中、2人のあまりのリラックスした姿に爆笑の嵐。それでもこの後、難しいピッチャーゴロをさばいた岩瀬氏のフィールディングは現役時代さながらであった。
■過去から現在、未来への継承
初のOB戦とあってか、この日のバンテリンドーム周辺は早くからドラゴンズグッズを身につけるファンが多く訪れていた。
ドームに隣接する商業施設では午前中からユニフォーム姿の人を何人も見かけ、自由席の入場列は昼過ぎの時点で隣のゲートまで伸びて折り返すほど。20年ほど前までは当たり前のように見られていた席取りのためのシート貼りも、2024年の今見ると随分新鮮に感じられた。
ファンが各々着るユニフォームも普段の公式戦よりバラエティ豊か。やはりOB戦だったせいか、現行のものよりは何世代か前が多い印象だ。例えば荒木雅博氏は引退時(18年)のユニフォームを着ている人が多く見えたし、川上憲伸氏ならいわゆる黄金期(2004~11年)のモデルを着ている人が多数見られた。
今回のOB戦の大きなテーマとして「過去から現在、未来への継承」が挙げられると思う。試合前にコンコースを回ると、今中慎二氏のユニフォームを着る父親と髙橋宏斗ユニ姿の子どもが連れ立って歩いていた。かつてのエースと現代のエースが“交わる”状況に胸が熱くなった。
親子三世代で観戦に来たという名古屋市在住の30代男性はこう話す。
「この日を楽しみにしていました。娘は今日が“バンテリンデビュー”で、英才教育を施そうかなと(笑)。現状のペナントレースは苦しい状況ですが、だからこそOBの皆さんには今回の試合を通じて喝を入れてほしいと思っているし、強かった頃に思いを馳せてしまいますね」
中日球団は今年で創設88年の名門。2000年代まではAクラスの常連だったが、ここ10年ほどは低迷期を抜け出せずにいる。ファンにとっては歯痒い状況が続くが、それはOBにとっても同じだ。
昇竜チームの監督を務めた権藤博氏は「今のドラゴンズは弱いですから、何とかしてやってください」と訴え、総監督の法元英明氏も「下剋上を果たしてほしいと願っています」と思いを共有する。
現在のユニフォームを着る監督・コーチならびに選手の登場がなかった(映像も含めて)のは残念だった一方、純粋にOBの振る舞いに集中できたのは良かったのかもしれない。彼らの力強い言葉に気持ちを新たにしたファンも多かったのではないか。少なくとも場内は万雷の拍手が起こっていた。
OB会長の小松氏は締めの言葉で第2回以降の開催、そして今回未招集の選手を呼ぶことを示唆。具体的にはケン・モッカ氏やタイロン・ウッズ氏など、外国人選手の名前が多く挙がっていた。まず1回実現できたのだから、ここからは各方面のやる気次第。毎年とは言わないが、ぜひ数年に一度の開催や他球団OBとの対抗戦を望みたい。
【著者プロフィール】
かが・いっき。1988年3月6日、愛知県生まれ。成蹊大学卒業後、一般企業を経て独立。ライティング、MCなど幅広く活動する。2016年~23年まで『スポーツナビ』にて編集・編成を担当。在職中に五輪・パラリンピックへの派遣、『Number』『文春オンライン』等への寄稿を経験。趣味は草野球で、1週間で20イニング投げることも。
↓ YouTube 動画 ↓
レジェンド竜戦士が豪華共演
投手・川上憲伸vs打者・岩瀬仁紀も!?
【7月25日 OB戦ハイライト】
(2024.7.25 公開)
↓ YouTube 動画 ↓
谷沢VS権藤のレジェンド対決も…
“伝説の竜戦士”が魅せた夢の中日OB戦
珍プレー好プレーと名シーンの数々
(2024.7.26 公開)
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ドラゴンズ球団初のOB戦
「DRAGONS CLASSIC
LEGEND GAME 2024」を
現地観戦してまいりました。

『昇竜チーム』のスタメンは、
一番田尾・二番平野から始まり
宇野・川又・中尾・上川・小松…
『強竜チーム』豊田・鈴木孝、
さらに谷沢監督を含め
1982年の優勝メンバーが勢揃い。
他にも水谷・都・堂上(父)等
豪華な面々を前にし、
狂喜乱舞した高校時代の記憶が
たいへん懐かしく蘇りました。

世代を超えた各選手が
登場するたびに、
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そんなひとときとなりました。

ぜひぜひ これからも、
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ワタクシでございます。(^ ^)
夢の対決直前に映し出された
「アイスを頬張る往年のレジェンド」
“緊張と緩和”そして“ガチ感”が
絶妙にブレンドされたドラゴンズOB戦
絶妙にブレンドされたドラゴンズOB戦
《7/26(金) 11:32配信 THE DIGEST》

三塁で軽快な守備を見せるも送球は...。
宇野勝氏の姿も“緊張と緩和”を凝縮していた。
写真:産経新聞社
宇野勝氏の姿も“緊張と緩和”を凝縮していた。
写真:産経新聞社
7月25日、中日ドラゴンズ球団初のOB戦「DRAGONS CLASSIC LEGEND GAME 2024」がバンテリンドームナゴヤで行われた。
ファン目線で言えば、「やっと、ついに、開催された」という思いだ。近年では19年にヤクルト、今春に西武が実施。いずれも大盛況のうちに終わっており、いよいよ自分たちの番がやってきた喜びでいっぱいだったのだ。
■“緊張と緩和”、そして“ガチ感”
OB戦の何が楽しみか。ズバリ“緊張と緩和”、そして“ガチ感”である。
前者は往年の名選手が思うように身体を動かせないのを目の当たりにし、現役時代とは異なる姿に力がフッと抜けるような状況。後者は現役時代さながらのパフォーマンスや、投打の一騎打ちに唸ること。こちらは7月22日に行われた「日韓ドリームプレーヤーズゲーム」で感じたことでもある。
では、今回の中日OB戦はどうだったか。しっかり「緊張と緩和」を体感できたし、「ガチ感」も随所に感じられた。
「緊張と緩和」でいうと、初回の小松辰雄氏と中尾孝義氏の1982年優勝バッテリーはオールドファンの力が入るには十分すぎる演出だが、投球練習で何度もボールを逸らすなどグダグダなスタート。のっけから3失点を喫する形となった(なお、小松氏はスパイクを履けておらず、硬いマウンドに合わなかった旨を降板後に明かしている)。
また、三塁を守った宇野勝氏は横っ跳びでの好捕や逆シングル捕球で魅せるも、いずれもスローイングまでは身体がついていかず。場内も「おおっ」となった後に「あ~」と、ため息混じりの笑いと拍手に包まれていた。
一方、最も「ガチ感」を感じられたのは英智氏である。現役時代さながらのスライディングキャッチやレーザービームを見せつけ、打席でも中押し点となる2点タイムリー三塁打を記録。見事、最優秀選手に輝いた(独特な言葉を紡ぐヒーローインタビューも現役時代のままであった)。
究極の「緊張と緩和」かつ「ガチ感」は最終7回に訪れた。2点リードの強竜チームは岩瀬仁紀氏がマウンドへ。対する昇竜チームの先頭打者は小笠原道大氏。通算407セーブを挙げたプロ野球史上屈指のクローザーと、強烈なフルスウィングで通算2120安打&378本塁打を記録したスラッガーの一騎打ち。これを堪能しようとした矢先、アイスキャンデーを頬張る田尾安志氏と福留孝介氏がビジョンに大写しに。
最高峰の対決を見守ろうと球場中が固唾を呑む中、2人のあまりのリラックスした姿に爆笑の嵐。それでもこの後、難しいピッチャーゴロをさばいた岩瀬氏のフィールディングは現役時代さながらであった。
■過去から現在、未来への継承
初のOB戦とあってか、この日のバンテリンドーム周辺は早くからドラゴンズグッズを身につけるファンが多く訪れていた。
ドームに隣接する商業施設では午前中からユニフォーム姿の人を何人も見かけ、自由席の入場列は昼過ぎの時点で隣のゲートまで伸びて折り返すほど。20年ほど前までは当たり前のように見られていた席取りのためのシート貼りも、2024年の今見ると随分新鮮に感じられた。
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今回のOB戦の大きなテーマとして「過去から現在、未来への継承」が挙げられると思う。試合前にコンコースを回ると、今中慎二氏のユニフォームを着る父親と髙橋宏斗ユニ姿の子どもが連れ立って歩いていた。かつてのエースと現代のエースが“交わる”状況に胸が熱くなった。
親子三世代で観戦に来たという名古屋市在住の30代男性はこう話す。
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中日球団は今年で創設88年の名門。2000年代まではAクラスの常連だったが、ここ10年ほどは低迷期を抜け出せずにいる。ファンにとっては歯痒い状況が続くが、それはOBにとっても同じだ。
昇竜チームの監督を務めた権藤博氏は「今のドラゴンズは弱いですから、何とかしてやってください」と訴え、総監督の法元英明氏も「下剋上を果たしてほしいと願っています」と思いを共有する。
現在のユニフォームを着る監督・コーチならびに選手の登場がなかった(映像も含めて)のは残念だった一方、純粋にOBの振る舞いに集中できたのは良かったのかもしれない。彼らの力強い言葉に気持ちを新たにしたファンも多かったのではないか。少なくとも場内は万雷の拍手が起こっていた。
OB会長の小松氏は締めの言葉で第2回以降の開催、そして今回未招集の選手を呼ぶことを示唆。具体的にはケン・モッカ氏やタイロン・ウッズ氏など、外国人選手の名前が多く挙がっていた。まず1回実現できたのだから、ここからは各方面のやる気次第。毎年とは言わないが、ぜひ数年に一度の開催や他球団OBとの対抗戦を望みたい。
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かが・いっき。1988年3月6日、愛知県生まれ。成蹊大学卒業後、一般企業を経て独立。ライティング、MCなど幅広く活動する。2016年~23年まで『スポーツナビ』にて編集・編成を担当。在職中に五輪・パラリンピックへの派遣、『Number』『文春オンライン』等への寄稿を経験。趣味は草野球で、1週間で20イニング投げることも。
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レジェンド竜戦士が豪華共演
投手・川上憲伸vs打者・岩瀬仁紀も!?
【7月25日 OB戦ハイライト】
(2024.7.25 公開)
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谷沢VS権藤のレジェンド対決も…
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珍プレー好プレーと名シーンの数々
(2024.7.26 公開)
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2024年01月01日
“ドラ&しゃち映像” にて年頭の御挨拶
《2024年》
新年 明けまして
おめでとうございます。
いつも この拙ブログを
覗いてくださっている皆様、
誠に ありがとうございます。

2024年も皆様の上に
多くの恵みと祝福が
豊かに注がれますよう、
お祈り申し上げます。
皆様の御多幸・御健康、
そしてドラゴンズと
TEAM SHACHIの飛躍を
祈念いたしまして…
《ドラドラ》
2007年=半世紀ぶりの
ドラ日本一決定試合映像と
《しゃっちー》
名古屋城にて初披露された
TEAM SHACHI『勲章』の
2023.7.22 ライブ映像を
今年も年頭にあたってYouTubeより
転載させて戴こうと思います。
本年もどうぞ
よろしくお願い申し上げます。
↓ YouTube 動画 ↓
【ドラゴンズ日本一2007】
ニュース「スポパラ」
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TEAM SHACHI 「勲章」
(SHACHI SUMMER2023
名古屋城 ver. )
【Official Live Music Video】
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豊かに注がれますよう、
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皆様の御多幸・御健康、
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《ドラドラ》
2007年=半世紀ぶりの
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2023年01月03日
願いを込めて『ドラドラ』『しゃっちー』
《2023年》
新年 明けまして
おめでとうございます。
毎度 この拙ブログを覗いて下さり、
誠に ありがとうございます。

皆様の御多幸・御健康、
そしてドラゴンズと
TEAM SHACHIの飛躍を
祈念いたしまして…
《ドラドラ》
立浪和義 現監督が
ウィニングボールを捕球した
1999年の星野監督胴上げ映像と
《しゃっちー》
大晦日に公開された
TEAM SHACHI『光』の
2022.10.10 ライブ映像を
年頭にあたってYouTubeより
転載させて戴こうと思います。
本年もどうぞ
よろしくお願い申し上げます。
↓ YouTube 動画 ↓
1999年 中日優勝の瞬間
~星野監督インタビュー
(1999.9.30 SーD 神宮球場)
↓ YouTube 動画 ↓
TEAM SHACHI「光(HIKARI)」
(SHACHI SUMMER
〜破茶滅茶!夏のサバイバル!〜 ver.)
【Official Live Music Video】
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皆様の御多幸・御健康、
そしてドラゴンズと
TEAM SHACHIの飛躍を
祈念いたしまして…
《ドラドラ》
立浪和義 現監督が
ウィニングボールを捕球した
1999年の星野監督胴上げ映像と
《しゃっちー》
大晦日に公開された
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2022.10.10 ライブ映像を
年頭にあたってYouTubeより
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本年もどうぞ
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1999年 中日優勝の瞬間
~星野監督インタビュー
(1999.9.30 SーD 神宮球場)
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TEAM SHACHI「光(HIKARI)」
(SHACHI SUMMER
〜破茶滅茶!夏のサバイバル!〜 ver.)
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2022年01月18日
史上唯一の遊撃本塁打王
遊撃手で歴代最多のシーズン41本塁打
ファンにも絶大な人気誇った
「中日の遊撃手」は
《1/17(月) 11:01配信 週刊ベースボール》
空振りを恐れない豪快なスイング

ファンからの人気も高かった宇野
遊撃は守備で最も負担が大きいポジションと言われている。かつては「専守防衛」とも呼ばれ、打撃では多くを求められていなかった。その固定概念を覆し、2リーグ分立後、史上唯一の遊撃で本塁打王を獲得し、歴代最多のシーズン41本塁打といまだ破られてない記録を樹立したのが、1980年代から90年代前半にかけて中日でレギュラーとして活躍した宇野勝だ。
宇野の名前を聞くと、現在も語り継がれる「珍プレー」のイメージが強いかもしれない。81年8月26日の巨人戦で宇野勝がフライの目測を誤って頭部にボールを当てた「ヘディング事件」 だ。スポーツバラエティー番組『プロ野球珍プレー好プレー』で何度も流れた映像を見た人は多いだろう。ただ、このプレーが宇野の本質ではない。攻守で時代を先取ったスケールの大きいプレーが魅力だった。
宇野は銚子商高で3年夏に甲子園に出場。「三番・遊撃手」で中心選手として活躍したが、当時はスラッガーではなく中距離打者だった。中日にドラフト3位で入団すると、一枝修平コーチのマンツーマン指導で鍛え上げられ、高卒3年目の79年に遊撃のレギュラーを獲得。リーグ優勝した82年に自身初の30本塁打をマークすると、84年は37本塁打で阪神の掛布雅之と共に自身初の本塁打王のタイトルを獲得。夏場に強く同年も7月まで掛布に7本のリードを許していたが、8月だけで15本塁打を放ち追いついた。ちなみに117三振もリーグ最多。空振りを恐れない豪快なスイングにファンは酔いしれた。翌85年も自己最多の41本塁打をマーク。阪神・バースが54本塁打でタイトルに届かなかったが、遊撃のシーズン本塁打で歴代最多記録だ。

豪快な打撃も魅力だった
スイングスピードの速さは球界屈指だった。日米野球では4試合出場して5本塁打をマーク。1試合2本塁打を2回記録しているが、これは史上5人しか達成していない。メジャーで活躍する投手たちの快速球をスタンドに運んでいた。
ダイナミックな遊撃守備

遊撃守備で何度もチームのピンチを救った
遊撃の守備では79年以降7年間で6回のリーグ最多失策を記録しているが、決して守備が下手なわけではなかった。身長180センチの大型遊撃手だったが身のこなしが速い。三遊間の深い打球に逆シングルで強肩からアウトにするなど好守でチームを何度も救っている。
遊撃の守備にこだわりはあったが、88年は星野仙一監督の方針で開幕から高卒ルーキーの立浪和義(現中日監督)を遊撃で起用。宇野は二塁に回った。プロで実績のない高卒ルーキーに遊撃の座を明け渡すことに葛藤はあっただろう。だが、宇野はその思いを表に出さず、フォア・ザ・チームに徹するプロ意識の高さを持っていた。不慣れなポジションで全130試合出場し、打率.277、18本塁打、76打点で6年ぶりのリーグ優勝に貢献。93、94年の2年間はロッテでプレーをし、ユニフォームを脱いだ。
「遊撃で長距離砲」という唯一無二のスタイルを確立し、シーズン30本塁打以上を4度、20本塁打以上を9度マーク。プロ通算18年間で1802試合出場、打率.262、338本塁打、936打点、78盗塁。通算338本塁打は遊撃で歴代最多アーチだ。
現役引退後は中日で計7年間打撃コーチを務め、現在は野球評論家として活動。20年9月にYouTubeチャンネル「「UNO is PERFECT」を開設。昨年は貧打で苦しむ中日に提言を送るなど、愛情あふれる動画が多い。宇野のような長距離砲の出現を中日ファンも望んでいる。
写真=BBM
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2021年07月05日
大島康徳氏 逝去
大島康徳さん死去 70歳
中日で2度のリーグ優勝貢献
大腸がん闘病「余命1年」宣告から4年8カ月
《7/5(月) 12:06配信 中日スポーツ》

大島康徳さん
プロ野球の中日で活躍し、日本ハムの監督も務めた野球評論家の大島康徳さんが6月30日に大腸がんのため死去したことが、5日分かった。70歳だった。葬儀は親族らによる密葬で4日に行われた。近年は「ステージ4」の大腸がんや肝臓などへの転移を告白し、治療を受けながら野球評論家としての活動を続けていた。
大島さんは大分・中津工から1969年にドラフト3位で中日に入団。88年には日本ハムに移籍し、44歳まで現役を続けた。26年間で通算2204安打、382本塁打を記録。引退後は2000~02年には日本ハムで監督を務め、東京中日スポーツ、NHKで野球評論家としても活躍した。
大分弁で「負けてたまるか!」を意味する「負くっか」の思いを貫徹した人生だった。長打力を見込まれ、プロ入りと同時に野手に転向。不器用を努力で克服し、安定感はなくてもガムシャラなプレースタイルでファンに愛された。
大島さんは自身の現役生活を「私には記録という記録はない。中途半端な人間だと思う」と振り返る。それでも、83年に36本塁打で初の本塁打王を獲得したほか、代打としても勝負強さを発揮した。日本ハム移籍3年目の90年には当時最年長の39歳10カ月で通算2000安打を達成。2006年には第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表の打撃コーチとして世界一に貢献した。
2016年10月に大腸がんと肝臓への転移の診断を受け、「余命1年」を宣告された。その後も自らを「不真面目ながん患者」と表現し、治療を受けながら以前と変わらない生活を心掛けた。「1人ではがんと闘えない。社会とつながっていないと立ち向かっていけない」と、野球評論家としての活動も続けた。
今年6月にはがんが肺にも転移していることを自身のブログで告白していた。
▼大島康徳(おおしま・やすのり)
1950(昭和25)年10月16日生まれ、大分県中津市出身。中津工ではエースで4番。69年にドラフト3位で中日入団。74年と82年のリーグ優勝に貢献。88年に日本ハム移籍。一塁手、三塁手、外野手を兼務しながら通算2638試合出場で2204安打、382本塁打。引退後は東京中日スポーツ、NHKで野球評論家として活動。2000~02年は日本ハム監督、06年の第1回WBC日本代表では打撃コーチを務めた。

大島康徳さんと言えば…
やはり思い出すのは
1982年9月 2試合連続サヨナラ打!
マジック12を点灯させ、
優勝に大きく近づく殊勲打でした。
現役時代の勇姿を偲び、
謹んでお悔やみ申し上げます。
↓ YouTube 動画 ↓
1982年9月28日
中日対巨人24回戦

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2020年09月01日
CUTTERch『ノーヒットノーラン』
球団史上8人目、
21世紀初のノーヒッター
ドラゴンズ・川上憲伸投手。

憲伸氏のお話は
かなり大げさですが、
よく見ると確かに
井端選手のベルトの位置は
かなり高くなっている気がします。

↓ YouTube 動画 ↓
18年越し
井端弘和へ伝えたい想い
「2002年8月1日」 (2020.7.29 公開)
↓ YouTube 動画 ↓
2002.8.1 川上憲伸
ノーヒットノーラン達成 9回全投球
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21世紀初のノーヒッター
ドラゴンズ・川上憲伸投手。

憲伸氏のお話は
かなり大げさですが、
よく見ると確かに
井端選手のベルトの位置は
かなり高くなっている気がします。

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18年越し
井端弘和へ伝えたい想い
「2002年8月1日」 (2020.7.29 公開)
↓ YouTube 動画 ↓
2002.8.1 川上憲伸
ノーヒットノーラン達成 9回全投球
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2020年08月01日
宇野勝が振り返る『1982 ドラ優勝』
中日ドラゴンズOB宇野勝×メ~テレスポーツ部
【宇野 is PERFECT(仮)】
中日ドラゴンズOB・宇野勝と
メ~テレ野球班が好き勝手に
プロ野球について語り尽くすチャンネル。

第17回のテーマは、
宇野勝が振り返る
『‘82年 ドラゴンズリーグ優勝』
引退を心に決めていた
星野仙一・木俣達彦のために…
「野武士軍団」と呼ばれた
個性あふれる選手たちが一丸となって
目指したリーグ優勝のウラ側には、
意外!?すぎる思い出が…。
↓ YouTube 動画 ↓
【星野仙一 引退の年】
宇野勝が振り返る
「‘82年ドラゴンズリーグ優勝」
(2020.7.31 公開)
1982.9.28 9回裏に放った
レフト戦タイムリー二塁打について、
宇野さんは「映像が残っていない」と
この動画内では言っていますが、
その映像は下記のとおり
きちんと残されています。
↓ YouTube 動画 ↓
1982年9月28日
中日対巨人24回戦
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【宇野 is PERFECT(仮)】
中日ドラゴンズOB・宇野勝と
メ~テレ野球班が好き勝手に
プロ野球について語り尽くすチャンネル。

第17回のテーマは、
宇野勝が振り返る
『‘82年 ドラゴンズリーグ優勝』
引退を心に決めていた
星野仙一・木俣達彦のために…
「野武士軍団」と呼ばれた
個性あふれる選手たちが一丸となって
目指したリーグ優勝のウラ側には、
意外!?すぎる思い出が…。
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【星野仙一 引退の年】
宇野勝が振り返る
「‘82年ドラゴンズリーグ優勝」
(2020.7.31 公開)
1982.9.28 9回裏に放った
レフト戦タイムリー二塁打について、
宇野さんは「映像が残っていない」と
この動画内では言っていますが、
その映像は下記のとおり
きちんと残されています。
↓ YouTube 動画 ↓
1982年9月28日
中日対巨人24回戦
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タグ :宇野 is PERFECT
2020年06月15日
立浪サヨナラ満塁弾
上原浩治氏にとって、
プロ現役時代の21年間における
最も悔しかった被本塁打は、
2006年4月7日 ナゴヤドームで
立浪和義選手が放った
サヨナラ満塁ホームランだそうです。
↓ YouTube 動画 ↓
上原浩治が忘れられない
ホームラン5本を告白します。
(2020.6.5 公開)
下記動画は、
そのサヨナラ満塁弾の映像です。
↓ YouTube 動画 ↓
立浪和義 サヨナラ満塁HR
(2006.4.7 DーG ナゴヤドーム)

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プロ現役時代の21年間における
最も悔しかった被本塁打は、
2006年4月7日 ナゴヤドームで
立浪和義選手が放った
サヨナラ満塁ホームランだそうです。
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上原浩治が忘れられない
ホームラン5本を告白します。
(2020.6.5 公開)
下記動画は、
そのサヨナラ満塁弾の映像です。
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立浪和義 サヨナラ満塁HR
(2006.4.7 DーG ナゴヤドーム)

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2020年05月03日
1982日本シリーズ 石ころ事件
《 YouTube『あなたへのおすすめ』》

YouTube『あなたへのおすすめ』欄に
こんな動画が表示されました。
1982年 日本シリーズ
2勝2敗で迎えた第5戦、
3回表・二死二塁の場面で
平野選手の打球は、一塁線を破る
先制タイムリー!のはずが…
↓ YouTube 動画 ↓
1982年 日本シリーズ 西武ー中日
“石ころ事件”
その後…
1985年 二塁走者・田尾選手と
バッテリーの杉本投手・大石捕手との
交換トレードが行われ、
打者の平野選手は、
1988年に西武へ移籍するなど、
何かと因縁めいたものを
感じさせるシーンとなりました。
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こんな動画が表示されました。
1982年 日本シリーズ
2勝2敗で迎えた第5戦、
3回表・二死二塁の場面で
平野選手の打球は、一塁線を破る
先制タイムリー!のはずが…
↓ YouTube 動画 ↓
1982年 日本シリーズ 西武ー中日
“石ころ事件”
その後…
1985年 二塁走者・田尾選手と
バッテリーの杉本投手・大石捕手との
交換トレードが行われ、
打者の平野選手は、
1988年に西武へ移籍するなど、
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2019年10月26日
和田一浩選手の左翼越サヨナラヒット
このところ、10月23日の
『TEAM SHACHI 改名1周年』に
関連する記事の割合が高くなっていた
当ブログでありますが、
10月23日といえば…
脳裏に焼き付いて離れない
あの豪快で鮮やかな
和田一浩選手のサヨナラタイムリー!
2010年10月23日
セ・リーグCS ファイナルS 第4戦
ナゴヤドーム 中日vs巨人を
忘れることはできません。
↓ YouTube 動画 ↓
2010.10.23 中日ー巨人
ドラゴンズ 日本シリーズ進出決定!
そろそろ長い眠りから覚めて、
CS常連チームへの復活を
切に祈り 待ち望んでいます。

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『TEAM SHACHI 改名1周年』に
関連する記事の割合が高くなっていた
当ブログでありますが、
10月23日といえば…
脳裏に焼き付いて離れない
あの豪快で鮮やかな
和田一浩選手のサヨナラタイムリー!
2010年10月23日
セ・リーグCS ファイナルS 第4戦
ナゴヤドーム 中日vs巨人を
忘れることはできません。
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2010.10.23 中日ー巨人
ドラゴンズ 日本シリーズ進出決定!
そろそろ長い眠りから覚めて、
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2019年09月15日
大野雄大投手 ノーヒットノーラン
大野雄大でなんと6人目
中日のノーノー達成
平成以降は12球団でダントツ
平成以降は12球団でダントツ
《9/14(土) 19:25配信 Full-Count》

中日の大野雄大投手が14日、本拠地ナゴヤドームで行われた阪神戦で史上81人目92度目のノーヒットノーランを達成した。立ち上がりから阪神打線に付け入るスキを与えず。9回を126球で投げ抜き、無安打1四球9奪三振で快挙を達成した。9月6日のロッテ戦でソフトバンクの千賀滉大投手が達成しており、わずか8日で令和2人目の偉業達成となった。
セ・リーグでは2018年7月27日に巨人・山口俊投手が中日戦(東京D)で達成して以来、42人目。中日では2013年6月28日に山井大介投手がDeNA戦(横浜)で達成して以来、6年ぶり。また、本拠地ナゴヤドームでの達成は、2006年9月16日に山本昌投手が阪神戦で達成した史上最年長ノーヒットノーラン以来、13年ぶり2人目だった。
中日のノーヒットノーランは大野雄で実に12人目となる。12球団でノーヒットノーラン達成者が最も多いのは、数々の名選手が在籍した巨人で16人。中日の12人はこれに次ぐ2番目の多さを誇る。
中日で初めてノーヒットノーランを達成したのは、前身の名古屋時代、1942年7月18日の阪急戦で達成した西沢道夫。これまでに巨人は沢村栄治やスタルヒンなどが6回達成、阪急(現オリックス)も4回達成した。
1943年10月12日の大和戦では、のちに太平洋戦争の神風特攻隊で殉死した石丸進一が達成。これが中日で2人目の快挙だった。その12年後、1955年5月10日の国鉄戦では杉下茂が成し遂げ、これが球団名が「中日」となってから最初のノーヒットノーランだった。
1964年8月18日に中山義朗が巨人戦で達成すると、しばらく中日からのノーヒットノーランは出なくなる。そこから23年のブランクを経て、久々の快挙を達成したのが近藤真一。1987年8月9日の巨人戦で、プロ野球史上唯一の偉業となる初登板ノーヒットノーランを達成している。これが昭和最後のノーノーだった。
平成に入ると、中日勢は小刻みに達成者を出している。1996年8月11日の巨人戦で野口茂樹、2000年4月7日の横浜戦でメルビン・バンチ、2002年8月1日の巨人戦で川上憲伸、2006年9月16日の阪神戦で山本昌、そして2013年6月28日の横浜戦で山井大介と5人が達成。令和初の達成となった大野雄を含めると、平成以降で実に6人が成し遂げている。
平成以降のノーヒットノーラン達成者は計25人で、中日の6人は12球団でトップ。歴代達成者数でトップの巨人は、平成に入って以降は槙原寛己(完全試合)、杉内俊哉、山口俊の3人。阪神やヤクルトも3人で中日はダントツの数となっている。2リーグ制後の10人も、巨人の9人を抜きトップとなった。
Full-Count編集部
13年前もノーノー実況
…東海テレビ・森脇アナ
…東海テレビ・森脇アナ
大野雄快挙に感無量
「運命かな」解説は山本昌氏
《9/14(土) 20:15配信 スポニチアネックス》

◇セ・リーグ 中日3―0阪神
(2019年9月14日 ナゴヤD)
またしても偉業達成の場に立ち会った。この日、東海地区で放映された中日―阪神戦のテレビ中継で実況を担当したのは東海テレビ・森脇淳アナウンサー。
実は森脇アナウンサーは06年に山本昌氏が史上最年長でノーヒットノーランを達成した試合でも実況を担当していた。
「6回頃から手に普段かかない変な汗が出始めました」と森脇アナウンサー。
実はこの試合もこの日と同様に阪神戦、スコアも同じ3―0、9月、さらに土曜日まで一緒というおまけつき。森脇アナウンサーは「アナウンサー冥利につきる。幸せだと思います。本当にありがたい」と感謝しながら無事に実況を終えた。
そして、この日、実況する森脇アナウンサーの隣で解説していたのは、13年前に偉業を成し遂げた山本昌氏だった。「昌さんが隣で解説しているのも何かの運命かなと感じた」と森脇アナ。
大野雄の偉業は偶然でなく、必然だったのかもしれない。
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2019年05月01日
平成通算最多勝!山本昌投手
平成の最多勝は中日・山本昌!
積み上げた214勝の要因を自ら分析
《2019年4月27日 中日スポーツ》

平成の最多勝投手となった山本昌さんは「ビックリだね」と驚きを隠さなかった。通算219勝のうち、平成時代に築いた勝利数は昭和63(1988)年の5勝を除いた214勝。2位の西口文也(182勝)とは大差だ。「長くやらせていただいたのが第一。平成の期間だけで200勝できたのは不思議に思う」と振り返ると、その要因を時代の変化による2つの恩恵だと分析した。
1つ目は医療を含めた体のケア技術の進化だ。「僕が若いころはとにかく走れ走れ。それが平成に入ってトレーニング方法や、キャンプのやり方が合理的になった。昔ほど故障者が出なくなったし、故障しても医療が進化したから復帰も早くなった」。トレーニング理論の研究が進む中、自身はトレーニング研究施設「ワールドウィング」を中心にトレーニングを重ねた。より故障しない体で現役を続けた。
2つ目は投手の分業制が確立したことにある。平成17(2005)年に中継ぎ投手の記録であるホールドがセ・パ両リーグで採用されたように、平成の時代は先発完投が当たり前の時代ではなくなった。その一方で米大リーグのように先発が中4日で登板するのではなく、中6日が主流になったことも、追い風になったと説明した。
「先発は完投してナンボと言われてきたけど、分業制になったおかげで(自分が)長くやれたところがある。目標は毎試合完投なんだけど、心の中で7回2失点なら合格だなって。そういう面でだいぶ負担が減った。あと僕が若いころは多少(誰かを)飛ばしてでも強いチームに、というのがあったけど、それがなくなってきたのも大きい」
体のケア技術の進化と分業制の確立。この2つの要因で50歳まで現役を続けた山本昌さんは選手寿命について「当然、伸びたね。その恩恵を一番受けたのはボクかな」と笑った。
(兼田康次)
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タグ :ドラゴンズ伝説
2019年03月19日
2004日本シリーズ 立浪同点3ラン
2004年 日本シリーズ 第2戦
中日・立浪和義選手、
西武・松坂大輔投手から同点3ラン!

この瞬間の
まるで身体中に電流が走ったような感覚は、
まだまだしっかりと残っています。
↓YouTube動画↓

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中日・立浪和義選手、
西武・松坂大輔投手から同点3ラン!

この瞬間の
まるで身体中に電流が走ったような感覚は、
まだまだしっかりと残っています。
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2017年11月01日
あれから10年…
10年前の今日
=2007年11月1日
山井&岩瀬のパーフェクトリレーで
中日ドラゴンズ日本一達成‼︎
( ↓ YouTube 動画 ↓ )


「谷繁選手が元気なうちに
早く次世代の捕手を育てないと…」と
この当時から心配はしていましたが、
あれから10年…
まさか こんなにも無残な低迷期を迎えるとは、
想像すらしていませんでした。
(-_-;)



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=2007年11月1日
山井&岩瀬のパーフェクトリレーで
中日ドラゴンズ日本一達成‼︎
( ↓ YouTube 動画 ↓ )


「谷繁選手が元気なうちに
早く次世代の捕手を育てないと…」と
この当時から心配はしていましたが、
あれから10年…
まさか こんなにも無残な低迷期を迎えるとは、
想像すらしていませんでした。
(-_-;)



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2017年09月28日
1982.9.28 奇跡の大逆転
何年経過しても
この試合の光景は
脳裏に焼き付いて離れません。
35年前の今日
=1982年9月28日
江川卓投手を最終回にノックアウト‼︎
奇跡の大逆転で
優勝マジック『12』点灯!

この試合に関しましては、
昨年も このブログに投稿しましたが…
※(2016.7.5付 当ブログ)
1982.9.28 ナゴヤ天王山 ←クリック

こちらも
YouTubeに動画が存在していたので、
先日の『山﨑逆転サヨナラ3ラン』同様、
当ブログに転載させて戴こうと思います。
これを見る度に、
いつも気分は 高校2年に戻ります。
(^_^;)
↓ YouTube 動画 ↓
1982年9月28日
中日対巨人24回戦

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この試合の光景は
脳裏に焼き付いて離れません。
35年前の今日
=1982年9月28日
江川卓投手を最終回にノックアウト‼︎
奇跡の大逆転で
優勝マジック『12』点灯!

この試合に関しましては、
昨年も このブログに投稿しましたが…
※(2016.7.5付 当ブログ)
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こちらも
YouTubeに動画が存在していたので、
先日の『山﨑逆転サヨナラ3ラン』同様、
当ブログに転載させて戴こうと思います。
これを見る度に、
いつも気分は 高校2年に戻ります。
(^_^;)
↓ YouTube 動画 ↓
1982年9月28日
中日対巨人24回戦

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2017年09月26日
1999.9.26 山﨑逆転サヨナラ3ラン
18年前の今日
=1999年9月26日
ドラゴンズ・山﨑武司選手
伝説の逆転サヨナラ3ラン!

『Xムラン』(エックスムラン)とも呼ばれる
この劇的なホームランによって、
この年のナゴヤドーム最終戦を白星で飾り
優勝マジックを『5』と しました。

YouTubeに、
この試合の9回裏の動画が
投稿されていたので見させて戴きました。
あの時の興奮が よみがえります。

ちなみに…
動画開始後2分45秒くらいに映っている
この画像 ↓↓↓

画面右下の辺りで、
コールの指示ボードを右手で掲げながら
応援のリードをとっている人間は…
ワタクシでございます。
(^_^;)
( ↓ YouTube 動画 ↓ )
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=1999年9月26日
ドラゴンズ・山﨑武司選手
伝説の逆転サヨナラ3ラン!

『Xムラン』(エックスムラン)とも呼ばれる
この劇的なホームランによって、
この年のナゴヤドーム最終戦を白星で飾り
優勝マジックを『5』と しました。

YouTubeに、
この試合の9回裏の動画が
投稿されていたので見させて戴きました。
あの時の興奮が よみがえります。

ちなみに…
動画開始後2分45秒くらいに映っている
この画像 ↓↓↓

画面右下の辺りで、
コールの指示ボードを右手で掲げながら
応援のリードをとっている人間は…
ワタクシでございます。
(^_^;)
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2016年10月18日
10月18日=ドラ2度の胴上げ
本日・10月18日は、
1982年と2011年のドラゴンズ
リーグ優勝決定日。
日付も同じなら
球場も同じ、横浜スタジアム。
1982年は『横浜大洋 対 中日』
近藤貞雄監督の胴上げ

2011年は『横浜 対 中日』
落合満博監督の胴上げでした。

主なドラゴンズ・メモリアルデーは、
下記のとおりです。
【ドラゴンズ優勝関連のメモリアルデー】
☆=日本シリーズ制覇
◎=セントラルリーグ優勝
△=CSファイナル突破
※1=『奇跡の9・28伝説』M12点灯
※2=『涙の10・8伝説』DG決戦
9月28日=1982 ※1
9月30日=1999◎
10月 1日=2004◎・2010◎
10月 7日=1988◎
10月 8日=1994 ※2
10月10日=2006◎
10月12日=1974◎
10月18日=1982◎・2011◎
10月19日=1954◎
10月20日=2007△
10月23日=2010△
11月 1日=2007☆
11月 6日=2011△
11月 7日=1954☆
1982年と2011年のドラゴンズ
リーグ優勝決定日。
日付も同じなら
球場も同じ、横浜スタジアム。
1982年は『横浜大洋 対 中日』
近藤貞雄監督の胴上げ

2011年は『横浜 対 中日』
落合満博監督の胴上げでした。

主なドラゴンズ・メモリアルデーは、
下記のとおりです。
【ドラゴンズ優勝関連のメモリアルデー】
☆=日本シリーズ制覇
◎=セントラルリーグ優勝
△=CSファイナル突破
※1=『奇跡の9・28伝説』M12点灯
※2=『涙の10・8伝説』DG決戦
9月28日=1982 ※1
9月30日=1999◎
10月 1日=2004◎・2010◎
10月 7日=1988◎
10月 8日=1994 ※2
10月10日=2006◎
10月12日=1974◎
10月18日=1982◎・2011◎
10月19日=1954◎
10月20日=2007△
10月23日=2010△
11月 1日=2007☆
11月 6日=2011△
11月 7日=1954☆
2016年09月19日
宇野勝選手 “ヘディング事件”
スマホで、
松竹映画『男はつらいよ』公式サイト
第27作
『男はつらいよ浪花の恋の寅次郎』の
ページを見ていたら…

この作品が封切りされた
1981年8月の『主な出来事』として
紹介されている たった4つの中の1つに…

中日ドラゴンズ・宇野勝選手の
“ヘディング事件” が挙げられていました。
(^O^)/
( ↓ YouTube 動画 ↓ )
松竹映画『男はつらいよ』公式サイト
第27作
『男はつらいよ浪花の恋の寅次郎』の
ページを見ていたら…

この作品が封切りされた
1981年8月の『主な出来事』として
紹介されている たった4つの中の1つに…

中日ドラゴンズ・宇野勝選手の
“ヘディング事件” が挙げられていました。
(^O^)/
( ↓ YouTube 動画 ↓ )
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2016年08月15日
1982.8.15 貴重な白星
今日の中日スポーツ
『きょうは こんな日』の記事は
1982年8月15日 ナゴヤ球場・中日–広島戦

高2の夏休み、同級生と共に
ライトスタンドで応援していました。
宇野勝選手が放った
8回裏の逆転3ランは
今でも強く印象に残っていますが、
この試合の勝利投手が
現スカウトの中田宗男投手だった事は
すっかり忘れていました。

この日が自身2年ぶり5試合目の登板で、
現役最初で最後の勝利だったとのこと。
最終戦に勝利して優勝を決めた
この年のドラゴンズ。
チームにとっても たいへん貴重な
プロ唯一の白星となりました。

『きょうは こんな日』の記事は
1982年8月15日 ナゴヤ球場・中日–広島戦

高2の夏休み、同級生と共に
ライトスタンドで応援していました。
宇野勝選手が放った
8回裏の逆転3ランは
今でも強く印象に残っていますが、
この試合の勝利投手が
現スカウトの中田宗男投手だった事は
すっかり忘れていました。

この日が自身2年ぶり5試合目の登板で、
現役最初で最後の勝利だったとのこと。
最終戦に勝利して優勝を決めた
この年のドラゴンズ。
チームにとっても たいへん貴重な
プロ唯一の白星となりました。

2016年07月05日
1982.9.28 ナゴヤ天王山
今日の中日スポーツ
『球団創設80周年企画』の記事は
1982年9月28日のナゴヤ球場・中巨戦。
これまで球場観戦した約1200試合の中で
最も印象に残る歓喜のゲームとして
まず第一に思い浮かぶ試合です。

当時、私は高校2年生。
平日の授業後にナゴヤ球場へ行く時は、
15時35分の終業と同時に教室を出て
全速力で自転車をこぎ
15時50分に帰宅して3分で着替えを済ませ
再び自転車で最寄駅である野田城駅へ。
16時02分発の国鉄・飯田線に乗って
豊橋駅で名鉄電車に乗り換え、
17時55分頃にナゴヤ球場到着というのが
通常のタイムスケジュールでした。
しかし、この日は
高校創立70周年記念行事の準備のため
終業時刻が通常より遅くなり、
17時15分頃に野田城駅を出る電車で
ナゴヤ球場へ向かうことになってしまい…
球場に着いた時刻は 19時すぎ。
すでに巨人が4点を先制していました。

けれども、結果は上記のとおり
延長10回・中日のサヨナラ勝利で、
優勝へのマジックナンバー12が点灯!
お祭り騒ぎを体感する事が できました。
今でも、9回裏の
豊田・モッカ・谷沢 各選手のヒット
宇野選手のタイムリーツーベース
中尾選手の同点タイムリー
そして10回裏の
大島選手のセンター前サヨナラ打など
はっきりと目に焼き付いています。
特に、中尾選手がライト前に放った打球が
「フェアーゾーンに落ちる!」
と確信した時の強烈な喜びの感覚は、
何年たっても忘れる事ができません。
☆
翌日も帰宅後に
野田城駅からナゴヤ球場へ出向き
ドラゴンズの勝利を観戦しました。
現在は無人駅となっている野田城駅ですが
当時は まだ駅員さんが数名おられ、
切符を買う時や改札口を通過する時、
「昨日は 応援ご苦労さん!」
「今日も 応援がんばってね!」などと
いつも優しく声をかけて下さった事。
今、たいへん懐かしく思い出しています。
(~_~;)
『球団創設80周年企画』の記事は
1982年9月28日のナゴヤ球場・中巨戦。
これまで球場観戦した約1200試合の中で
最も印象に残る歓喜のゲームとして
まず第一に思い浮かぶ試合です。

当時、私は高校2年生。
平日の授業後にナゴヤ球場へ行く時は、
15時35分の終業と同時に教室を出て
全速力で自転車をこぎ
15時50分に帰宅して3分で着替えを済ませ
再び自転車で最寄駅である野田城駅へ。
16時02分発の国鉄・飯田線に乗って
豊橋駅で名鉄電車に乗り換え、
17時55分頃にナゴヤ球場到着というのが
通常のタイムスケジュールでした。
しかし、この日は
高校創立70周年記念行事の準備のため
終業時刻が通常より遅くなり、
17時15分頃に野田城駅を出る電車で
ナゴヤ球場へ向かうことになってしまい…
球場に着いた時刻は 19時すぎ。
すでに巨人が4点を先制していました。

けれども、結果は上記のとおり
延長10回・中日のサヨナラ勝利で、
優勝へのマジックナンバー12が点灯!
お祭り騒ぎを体感する事が できました。
今でも、9回裏の
豊田・モッカ・谷沢 各選手のヒット
宇野選手のタイムリーツーベース
中尾選手の同点タイムリー
そして10回裏の
大島選手のセンター前サヨナラ打など
はっきりと目に焼き付いています。
特に、中尾選手がライト前に放った打球が
「フェアーゾーンに落ちる!」
と確信した時の強烈な喜びの感覚は、
何年たっても忘れる事ができません。
☆
翌日も帰宅後に
野田城駅からナゴヤ球場へ出向き
ドラゴンズの勝利を観戦しました。
現在は無人駅となっている野田城駅ですが
当時は まだ駅員さんが数名おられ、
切符を買う時や改札口を通過する時、
「昨日は 応援ご苦労さん!」
「今日も 応援がんばってね!」などと
いつも優しく声をかけて下さった事。
今、たいへん懐かしく思い出しています。
(~_~;)