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2019年01月16日
立浪和義氏 野球殿堂入り
ミスタードラゴンズ殿堂入り
「大きな選手に負けない」一心で
《2019/01/16 中日スポーツ》

野球殿堂博物館は15日、今年の野球殿堂入りを発表し、競技者表彰のプレーヤー部門(引退後5年以上)で元中日内野手の立浪和義さん(49)=本紙評論家=が選出された。立浪さんは候補者となって5年目での当選。引退から21年以上経過した元選手らが対象のエキスパート部門では、横浜(現DeNA)の監督として日本一に輝いた権藤博さん(80)、特別表彰は日本高野連会長を務めプロ野球との関係改善に尽力した脇村春夫さん(87)が選ばれた。
晴れ舞台のあいさつで立浪さんが語ったのは自身の原点だった。
「私は子どもの頃、体がそんなに大きくなかった。体も細かった。ただ、プロ野球を見ていて、あまり大きくない方が活躍されているのが何よりの励みだった。そういった姿を見て、プロ入りを目指してきた」
大阪で過ごした少年時代。体が小さい分、人一倍の負けん気で努力を重ねた。PL学園高では主将として甲子園春夏連覇へとチームを引っ張るようになった。
「プロに入ってからは、逆に自分がそういった目標にされるように、とにかく全力で頑張ってきた」
現役時代は173センチ、70キロ。小柄な選手の一人だった。それでも歴代1位の487二塁打、本塁打も171本。長打も打てる中軸として長くチームを支えた。
幼少期から養った「体の大きな選手に負けない」という気迫はチームをまとめる核になった。中日一筋22年。「ミスタードラゴンズ」と呼ばれ、内外から自然と「チームリーダー」と認められるようになった。
2009年の引退から10年。49歳の若さでの殿堂入りに「子どものころから野球を始めて、たくさんの素晴らしい指導者に恵まれたこと」と出会いに感謝した。
その一人が祝福のスピーチで駆け付けてくれたPL学園高元監督の中村順司さん(72)。恩師が、本来のスピーチ役として「ふさわしいのは」と語ったのは、故星野仙一さんだった。
昨年1月に他界した闘将は、2年前の1月に殿堂入り。星野さんのレリーフも飾られている式典会場で、立浪さんは「1年目から使ってもらったことが大きかった」と入団時の監督に感謝した。師への思いは語り尽くせない。厳しさ、優しさ…。受け継いだ魂なら今も息づいている。
「もう一度ユニホームを着て戦いたい」−。今後を問われた立浪さんは迷わずに言った。指導者として再びグラウンドに立つ。その姿が多くの人への恩返しになる。
(生駒泰大)
<立浪和義(たつなみ・かずよし)> 1969(昭和44)年8月19日生まれ、大阪府出身の49歳。大阪・PL学園高からドラフト1位で88年に中日に入団。1年目に開幕戦から先発出場し、新人王に選ばれた。2003年に通算2000安打を達成。通算487二塁打はプロ野球最多で、通算2480安打は歴代8位。ベストナイン2度、ゴールデングラブ賞5度受賞。
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Posted by ドラドラしゃっちー at 09:02│Comments(0)
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