☆☆☆ドラドラしゃっちー☆☆☆ 《のほほ〜ん日記》 › ドラゴンズ › 松坂大輔投手 中日退団
2019年10月05日
松坂大輔投手 中日退団
若手投手陣が台頭し始めた現状と
ドラゴンズにおける来季の重要度を考えたら、
寂しいことではありますが
松坂投手からの退団申し出は、
ドラゴンズにとって
最も感謝すべき決断だったと思います。
古巣の西武入団への道が開かれ、
この決断が松坂投手ご本人にとっても
最高の結果となりますよう祈ります。

「平成の怪物」松坂大輔投手の中日退団が決まった。球団側に了承を得た4日、松坂と話す機会があった。「退団について、金銭面含めた駆け引きは一切なかった。今年はチームに貢献できなかったし、大幅減俸はもちろん…。それよりもチームの中で自分を本当に必要とされるかどうかだけだった」と話していた。具体的な条件提示がいくらだったかは分からないが「僕にはもったいないくらいの条件を出してくれていた」という。少なくとも最低年俸といったことはなかったようだ。
球団が契約すると言ってくれているのだから、なぜ素直に契約しないのか。そういった声があるのはもちろん理解する。ただ、松坂は中日に入団した時からずっと考えていた。「僕は外様で拾ってもらった身。チームに不要だなという空気が出たら、自分からチームを去らないといけない時が来る」。若手が育ち、チームは改革に乗り出している。その空気を敏感に感じ取り、反応したのだと思う。
松坂がチームにもたらしたものは決して小さくない。左肩痛から復活した小笠原には、キャッチボールの中でのつぶさな観察力を説いた。肩の状態に応じてどういった治療を施すべきかなど、自らの知識はおしげもなく伝えた。そんな一つ一つが金言となって、1軍で活躍した投手は1人や2人ではない。そんな話を向けると「コーチの立場でアドバイスするのと、同じ選手として意見を言うのとは違う」と話していた。現時点では指導者に興味がないようだった。
今季未勝利。どれだけの球団が獲得に乗り出してくれるかは未知数だ。中日よりも明らかに低い条件にもなるだろう。だが、その目はまだ死んでいない。「球威やスピード全盛の時代で、どこまで(動くボールで)勝負できるかなど、やりたいことはたくさんある」。剛球で鳴らした平成の怪物が、令和の時代で新たな可能性にチャレンジしようとしている。移籍先決定までの推移を見守りたい。

去就が注目されていた中日・松坂大輔投手(39)の退団が4日、決まった。この日、ナゴヤ球場で加藤宏幸球団代表と会談し、退団を申し入れて了承された。松坂は現役続行を希望しており、球団は同日中に戦力外通告の手続きを行い、自由契約選手として公示されれば、他球団との交渉が可能となる。今回の「平成の怪物」の決断に対し、中日内では感謝の声が出ているが、どういうことなのか――。
松坂が2年間在籍した中日の退団に踏み切った。加藤代表との会談後、囲み会見に応じ「なかなか答えが出なくて、この1か月弱、本当に悩みました」。退団を決意した理由について、前監督の森繁和SDと友利結国際渉外担当の退団を挙げ「僕は2人にホークスをクビになったときに声をかけてもらって、ドラゴンズに拾ってもらったので、その2人が退団することになったので『僕もいちゃいけないな』と思った」と明かした。
この日、中日球団事務所で行われたスカウト会議に出席した与田監督は「退団するというのは本人の意思なので、そこは尊重しないといけない。私自身も力になれなかったこともあるし、松坂本人も不本意な1年、悔しい思いをしたと思う。だけど、ドラゴンズを去るということは名古屋にもたくさんファンがいたので寂しさはある」と慎重に話した。
9月1日に加藤代表と初会談した際、現役続行の希望を強く伝えた松坂はその後、与田監督とも会談を行った。球団は松坂を戦力外とする方針を固めていたが、与田監督はレジェンドの死に水をとってやろうと一転、残留させることを希望。そのため9月27日の加藤代表との2回目の会談では、今季年俸8000万円(推定)から減額制限を超える大幅減ではあるが、来季契約のオファーを受けていた。
しかし、現場の首脳陣はあくまで来季の戦力として考えていなかったという。右肩と右ヒジに不安を持つ松坂は今季2試合に登板して0勝1敗、防御率16・88と不本意な成績に終わった。加えて今季はドラフト2位・梅津(4勝)、4年目の小笠原(3勝)、2年目の山本(3勝)、清水(2勝)ら若手投手陣が台頭。チーム関係者は「世代交代が加速している中で、実績があっても下り坂のスーパースターの扱いは難しい。ウチが松坂を戦力外にしていたら、バッシングを浴びた可能性もある。松坂が自分から退団を決意してくれて助かった面もある」とホッと胸をなで下ろす。
さらに松坂が中日退団を決断できたのも、移籍先の球団のメドがついているからとみられている。本紙既報通り古巣・西武がその筆頭で、別の関係者は「現役続行に一番こだわっている松坂が、行くところもないのに辞めるはずがない。やっぱり取ってくれるところがあるからこそで、たぶん西武だと思う。オフにゴタゴタしてもめずに、10月に入ってすんなりといったのは取ってくれる球団があるおかげだよ」と感謝している。
球団とファンに向け松坂は「2年間という短い期間でしたが、球団には感謝の思いしかない。たいした力になれなかった僕を一生懸命応援してくださったファンの皆さんにも感謝している。このチームメートとも、もっと一緒に野球をやってたかった気持ちが強かったが、自分自身の残り少ない野球人生を考えたとき、外に出るのもいいのではと思った。2年間本当にありがとうございました」と、ゆっくりと言葉を選びながら話した。
今後については「来年以降どうなるか分からないですけど、またグラウンドで会えるように頑張っていきたいと思います」。今季は「令和1勝」を果たせなかった平成の怪物だが、あくなき挑戦は新天地で続く。
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ドラゴンズにおける来季の重要度を考えたら、
寂しいことではありますが
松坂投手からの退団申し出は、
ドラゴンズにとって
最も感謝すべき決断だったと思います。
古巣の西武入団への道が開かれ、
この決断が松坂投手ご本人にとっても
最高の結果となりますよう祈ります。
松坂 中日退団
感じ取った改革の“空気”
球団の慰留を固辞した理由
《10/5(土) 8:30配信 スポニチアネックス》

囲み取材で声を詰まらせる松坂(撮影・椎名 航)
「平成の怪物」松坂大輔投手の中日退団が決まった。球団側に了承を得た4日、松坂と話す機会があった。「退団について、金銭面含めた駆け引きは一切なかった。今年はチームに貢献できなかったし、大幅減俸はもちろん…。それよりもチームの中で自分を本当に必要とされるかどうかだけだった」と話していた。具体的な条件提示がいくらだったかは分からないが「僕にはもったいないくらいの条件を出してくれていた」という。少なくとも最低年俸といったことはなかったようだ。
球団が契約すると言ってくれているのだから、なぜ素直に契約しないのか。そういった声があるのはもちろん理解する。ただ、松坂は中日に入団した時からずっと考えていた。「僕は外様で拾ってもらった身。チームに不要だなという空気が出たら、自分からチームを去らないといけない時が来る」。若手が育ち、チームは改革に乗り出している。その空気を敏感に感じ取り、反応したのだと思う。
松坂がチームにもたらしたものは決して小さくない。左肩痛から復活した小笠原には、キャッチボールの中でのつぶさな観察力を説いた。肩の状態に応じてどういった治療を施すべきかなど、自らの知識はおしげもなく伝えた。そんな一つ一つが金言となって、1軍で活躍した投手は1人や2人ではない。そんな話を向けると「コーチの立場でアドバイスするのと、同じ選手として意見を言うのとは違う」と話していた。現時点では指導者に興味がないようだった。
今季未勝利。どれだけの球団が獲得に乗り出してくれるかは未知数だ。中日よりも明らかに低い条件にもなるだろう。だが、その目はまだ死んでいない。「球威やスピード全盛の時代で、どこまで(動くボールで)勝負できるかなど、やりたいことはたくさんある」。剛球で鳴らした平成の怪物が、令和の時代で新たな可能性にチャレンジしようとしている。移籍先決定までの推移を見守りたい。
(記者コラム・倉橋 憲史)
松坂「自主退団」に中日から感謝
戦力外にしなくてよかった…バッシングへの恐怖
《10/5(土) 16:40配信 東スポWeb》

球団に退団を申し入れ、スーツ姿で会見した松坂
去就が注目されていた中日・松坂大輔投手(39)の退団が4日、決まった。この日、ナゴヤ球場で加藤宏幸球団代表と会談し、退団を申し入れて了承された。松坂は現役続行を希望しており、球団は同日中に戦力外通告の手続きを行い、自由契約選手として公示されれば、他球団との交渉が可能となる。今回の「平成の怪物」の決断に対し、中日内では感謝の声が出ているが、どういうことなのか――。
松坂が2年間在籍した中日の退団に踏み切った。加藤代表との会談後、囲み会見に応じ「なかなか答えが出なくて、この1か月弱、本当に悩みました」。退団を決意した理由について、前監督の森繁和SDと友利結国際渉外担当の退団を挙げ「僕は2人にホークスをクビになったときに声をかけてもらって、ドラゴンズに拾ってもらったので、その2人が退団することになったので『僕もいちゃいけないな』と思った」と明かした。
この日、中日球団事務所で行われたスカウト会議に出席した与田監督は「退団するというのは本人の意思なので、そこは尊重しないといけない。私自身も力になれなかったこともあるし、松坂本人も不本意な1年、悔しい思いをしたと思う。だけど、ドラゴンズを去るということは名古屋にもたくさんファンがいたので寂しさはある」と慎重に話した。
9月1日に加藤代表と初会談した際、現役続行の希望を強く伝えた松坂はその後、与田監督とも会談を行った。球団は松坂を戦力外とする方針を固めていたが、与田監督はレジェンドの死に水をとってやろうと一転、残留させることを希望。そのため9月27日の加藤代表との2回目の会談では、今季年俸8000万円(推定)から減額制限を超える大幅減ではあるが、来季契約のオファーを受けていた。
しかし、現場の首脳陣はあくまで来季の戦力として考えていなかったという。右肩と右ヒジに不安を持つ松坂は今季2試合に登板して0勝1敗、防御率16・88と不本意な成績に終わった。加えて今季はドラフト2位・梅津(4勝)、4年目の小笠原(3勝)、2年目の山本(3勝)、清水(2勝)ら若手投手陣が台頭。チーム関係者は「世代交代が加速している中で、実績があっても下り坂のスーパースターの扱いは難しい。ウチが松坂を戦力外にしていたら、バッシングを浴びた可能性もある。松坂が自分から退団を決意してくれて助かった面もある」とホッと胸をなで下ろす。
さらに松坂が中日退団を決断できたのも、移籍先の球団のメドがついているからとみられている。本紙既報通り古巣・西武がその筆頭で、別の関係者は「現役続行に一番こだわっている松坂が、行くところもないのに辞めるはずがない。やっぱり取ってくれるところがあるからこそで、たぶん西武だと思う。オフにゴタゴタしてもめずに、10月に入ってすんなりといったのは取ってくれる球団があるおかげだよ」と感謝している。
球団とファンに向け松坂は「2年間という短い期間でしたが、球団には感謝の思いしかない。たいした力になれなかった僕を一生懸命応援してくださったファンの皆さんにも感謝している。このチームメートとも、もっと一緒に野球をやってたかった気持ちが強かったが、自分自身の残り少ない野球人生を考えたとき、外に出るのもいいのではと思った。2年間本当にありがとうございました」と、ゆっくりと言葉を選びながら話した。
今後については「来年以降どうなるか分からないですけど、またグラウンドで会えるように頑張っていきたいと思います」。今季は「令和1勝」を果たせなかった平成の怪物だが、あくなき挑戦は新天地で続く。
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Posted by ドラドラしゃっちー at 20:57│Comments(0)
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