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2019年11月21日
寅さんが愛され続ける理由
渥美清が演じる寅さん
『男はつらいよ』が多くの人に愛され続ける理由
《11/21(木) 8:00配信 HOMINIS(ホミニス)》

『新・男はつらいよ』より
山田洋次監督、渥美清主演による国民的映画『男はつらいよ』の第1作が1969年に公開されてから今年で50年。今年は記念すべきメモリアルイヤーということで、寅次郎の知られざる幼少時代を描いた「少年寅次郎」(NHK)や「贋作 男はつらいよ」(NHK、放送は2020年)といったTVドラマが制作されるほか、まさかのシリーズ第50弾となる映画最新作『男はつらいよ お帰り 寅さん』が12月27日(金)に公開されることも決定した。これに合わせて、CS放送・衛星劇場では『男はつらいよ』シリーズの第1作~第5作などが放送される。
日本中を笑いと感動で包み込んだ『男はつらいよ』シリーズは、渥美清演じる車寅次郎が、故郷となる葛飾・柴又のだんご屋に帰ってきたことで起きる騒動や、日本各地を旅する中で出会う"マドンナ"たちに一目惚れをすることで起きるドタバタを描き出す人情喜劇だ。1983年には「一人の俳優が演じたもっとも長い映画シリーズ」としてギネスブックに認定。日本中から愛される作品として、渥美清が亡くなるまで作り続けられた。
寅さんのキャラクター造型は、渥美清が少年時代に上野や浅草で見聞きしてきたテキ屋の姿がベースとなっている。渥美清が唯一残した自伝「渥美清 わがフーテン人生」(毎日新聞出版)によると、お世辞にも品質が良いとは言えない商品を、口八丁手八丁で買いたい気持ちにさせる彼らに魅せられた渥美少年は、彼らの佇まいから、大人の粋、社会、成長といったものを連想し、しょっちゅうつきまとっていたのだという。
そんな下町の裏街道を歩んでいたテキ屋からの影響を色濃く受けた渥美清の話芸、そして渥美からその話を聞き、落語などの影響を織り込んで形にしてみせた山田洋次のストーリーテラーとしての見事さ、そして撮影、美術、音楽など、一流の職人たちが作り出した素晴らしい世界観、そしてシリーズごとに華やかに登場するマドンナをはじめ、志村喬、宇野重吉、田中絹代、三船敏郎といった名優たちのゲスト出演なども楽しい。そんなアンサンブルが重層的に混ざり合って、本シリーズを唯一無二のものとして印象づけている。
故郷・柴又のだんご屋・とらやに戻った寅さんは、おいちゃんやおばちゃん、妹のさくらや、その夫の博らに、旅先で起こった話を面白おかしく聞かせてみせる。それは観客も同じで、寅さんの話を楽しみに聞いていたのだ。寅さんが語る言葉のひとつひとつは、観客にも鮮やかに情景を思い浮かばせる。それは、『男はつらいよ』ファンがオペラになぞらえて"アリア"と評するように、もはや芸術の域に達している。
山田洋次監督は「対話 山田洋次(1)人生はつらいか」(旬報社)という対談集の中でこう語っていた。「役に立つか立たないかという機能主義で人間を見るしかないと、寅さんのような人は無視される。というより、不良品としてはじき飛ばされる。ちょっと変わった人を、時にからかいながらも仲間内に抱えていくという気分のゆとりが日本人になくなった」と。だからこそ、寅さんを温かく迎える家族の姿に、どこかホッとしたり、懐かしさを感じたりしてしまう。それほどまでに観客は寅さんに親しみを抱いていたし、『男はつらいよ』が上映されていた当時の映画館は、本当に笑い声が絶えなかった。
これはよく知られた話だが、劇場版の『男はつらいよ』が作られる前には、フジテレビ系で全26話のテレビシリーズが放送されていた。しかしその最終回では、沖縄に行った寅さんがハブに噛まれて亡くなってしまうという結末を迎え、放送終了と同時に「いくらテレビ局だからって勝手なことはさせねぇぞ!」「お前も人間だろう。だったらあんな可哀想なことをしちゃいけないよ」といった抗議の電話が鳴り響いたという。それほどまでに寅さんは多くの観客の心に住み着いていたのだ。
文=壬生智裕
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Posted by ドラドラしゃっちー at 10:32│Comments(0)
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