2022年03月29日
ナゴヤドーム通算勝利数
球場別勝利数ランキング
〜ナゴヤドーム〜
《2/21(月) 8:30配信 ベースボールチャンネル》

野球の見方の一つに、選手個人と球場の相性というものがある。ビジターであれば、対戦球団が苦手なだけという場合もあるが、選手によっては、球場の得手不得手というものもあるようである。
ここでは、球場別の個人成績にフォーカスし、部門別にランキング形式で紹介していく。上位選手を見ることで各球場の「顔」を確認していこう。今回はナゴヤドーム・通算勝利編(2021年終了時点)。
■球場情報■
現名称:バンテリンドーム ナゴヤ
正式球場名:ナゴヤドーム
開場年月:1997年3月
球場の広さ:両翼100m、中堅122m
公式戦初開催:1997年4月4日 中日-横浜
公式戦試合数:1712試合
9位から6位の選手は、以下の通り。
9位タイ 浅尾拓也
25勝(中日25勝)
9位タイ 朝倉健太
25勝(中日25勝)
8位 山井大介
30勝(中日30勝)
7位 岩瀬仁紀
32勝(中日32勝)
6位 野口茂樹
36勝(中日35勝 巨人1勝)
上位10人には、通算1002試合登板、407セーブのNPB記録を持つ岩瀬仁紀や、シーズン記録の47ホールド、リリーフながら最優秀選手も受賞した浅尾拓也ら救援投手もランクインした。
7位の岩瀬は、ルーキーイヤーからリーグ最多の65試合登板と鉄腕ぶりを発揮。リリーフながら2桁勝利をマークした。2004年シーズン途中からは不動の守護神として君臨。通算59勝のうち半数を超える32勝を本拠地・ナゴヤドームで記録している。ほとんどが救援登板での数字だが、2000年にはキャリア唯一の先発マウンドに上がり、7回1失点で勝利投手となっている。
5位:中田賢一
37勝(中日35勝 ソフトバンク2勝)
5位には、2021年シーズン限りで現役を引退した中田賢一だ。
中田は、福岡・八幡高、北九州市立大を経て、2004年ドラフト2巡目で中日に入団。1年目から開幕ローテーション入りを果たし、8勝を挙げた。
07年には“荒れ球”も活かして14勝8敗、177奪三振、防御率3.59をマーク。惜しくも受賞は逃したが、最後まで最多奪三振のタイトル争いを演じ、チームの日本一にも大きく貢献した。しかし、同年を境に成績が下降気味に。規定投球回に到達したシーズンもなく、13年オフに福岡ソフトバンクホークスへFA移籍。ソフトバンクでは再び息を吹き返し、自身2度目の2桁勝利も記録した。20年からは阪神でプレーした。
通算成績は、297試合(1550回1/3)を投げ、100勝79敗1セーブ16ホールド、1350奪三振、防御率3.75。うち中日時代に61勝を記録した。2022年はソフトバンクで3軍投手コーチとして、指導者の道を歩みだした。
4位:大野雄大
42勝(中日42勝)
4位となったのは、現役の“沢村賞左腕”大野雄大だ。
大野は、京都外大西高、佛教大を経て、2010年ドラフト1位で入団。3年目の13年に先発ローテーションへ定着し、2桁10勝を挙げた。その後は、3年連続2桁勝利をマークするなど左のエースへと成長したが、16年以降は負け越しが目立ち、18年には一軍未勝利に終わるなど苦しいシーズンが続いた。
しかし、19年に9勝、防御率2.58の成績で初のタイトルとなる最優秀防御率を受賞し、無安打無得点試合(ノーヒットノーラン)も達成するなど完全復活。さらに昨季は11勝6敗、148奪三振、防御率1.82、脅威の10完投6完封を記録し、2年連続の最優秀防御率、さらには沢村栄治賞にも輝いた。
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2021年終了時点の通算成績は、204試合(1341回2/3)を投げ、76勝78敗2ホールド、1078奪三振、防御率3.11。特に近年は、本拠地での登板に強さを見せている。
3位:吉見一起
58勝(中日58勝)
3位には、抜群の制球力を誇った技巧派エース・吉見一起が入った。
吉見は、金光大阪高、トヨタ自動車を経て、2005年大学生・社会人ドラフト希望枠で入団。プロ入り後2年間は一軍の壁に苦しんだが、3年目の08年に10勝10ホールドをマークし、飛躍を遂げた。
同年から5年連続2桁勝利を記録。特に11年は18勝3敗、防御率1.65の成績で最優秀防御率と最多勝の投手2冠に輝き、リーグ優勝の原動力となった。13年以降は右肘靭帯再建手術(通称トミー・ジョン手術)の影響を受け、2桁勝利や規定投球回に到達したシーズンはなかったが、晩年まで先発の一角を担っていた。
通算成績は、223試合(1287回)を投げ、90勝56敗11ホールド、845奪三振、防御率2.94。勝利数の約65%を本拠地・ナゴヤドームで記録していた。
2位:川上憲伸
59勝(中日59勝)
2位は、カットボールを大きな武器とし、メジャーリーグの舞台も経験した川上憲伸。
川上は、徳島商、明治大を経て、1997年ドラフト1位で入団。ルーキーイヤーから14勝6敗、防御率2.57とリーグ屈指の好成績を残し、新人王を受賞した。
翌99年からの3シーズンは2桁勝利から遠ざかったが、2002年に12勝をマーク。04年には17勝7敗と10個の貯金を作ってチームをリーグ優勝に導き、自身は最多勝、最優秀選手、沢村栄治賞などに輝いた。以降もエースとして活躍を続け、09年オフにメジャーへ挑戦。12年には中日へ復帰し、3年間プレーした。
NPB通算成績は、275試合(1731回)を投げ、117勝76敗1セーブ1ホールド、1381奪三振、防御率3.24となっている。
1位:山本昌
69勝(中日69勝)
トップは、NPB最長となる29年間の現役生活を送り、数々の最年長記録を持つレジェンド左腕・山本昌だ。
山本昌は、日大藤沢高から1983年ドラフト5位で入団した。7年目の90年に初の2桁勝利を記録。93年には17勝、防御率2.05の成績で最優秀防御率と最多勝の投手2冠に輝くと、翌94年には19勝を挙げて沢村栄治賞を受賞した。
長らくナゴヤ球場をホームとしていたチームは、97年からナゴヤドームへ本拠地移転。同年の山本昌は18勝7敗、159奪三振、防御率2.92をマークし、3度目の最多勝と初の最多奪三振を受賞した。その後も晩年まで先発の柱としてローテーションを回り続け、41歳1ヶ月での無安打無得点試合(ノーヒットノーラン)、42歳11ヶ月での200勝など多くの偉業を成し遂げ、50歳を迎えた2015年まで現役を続けた。
通算成績は、581試合(3348回2/3)を投げ、219勝165敗5セーブ、2310奪三振、防御率3.45。219を数えた勝利数は、中日の球団最多記録となっている。
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