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2022年12月23日
【追悼】佐藤蛾次郎さん
【追悼】佐藤蛾次郎さん
山田洋次「渥美清とのコンビなくして
寅さんシリーズは成り立たなかった」
《12/21(水) 17:00配信 AERA dot.》

東京・銀座。8丁目にある飲食店ビルでカラオケパブ「蛾次ママ」を経営していた。ウイスキー飲み放題でポップコーンがついて1人4千円もしなかった。興が乗ると夜景が見えるステージに立ち、大好きな「望郷じょんから」を歌った。
「俺の顔を見るなり、『本物だ!』と驚く客もいるよ」。ニヤリと笑みを浮かべながら話していた姿が懐かしい。
寅さん映画のポスターが飾られた「蛾次ママ」は、寅さんファンにとっては隠れた「聖地」でもあった。だが一緒に店に出ることもあった妻が2016年に他界。新型コロナの影響で客足も激減し、一昨年店を閉じた。世田谷区内の自宅でひとり暮らし。
寅さん映画では葛飾柴又の帝釈天で働く源公を演じた。美しいマドンナが柴又に現れると「寅の恋人が来たでえ~」とうわさをまき散らした。
「握りずしにつくワサビみたいな男。いなくていいかもしれないけれど、いないと困る」と佐藤さんは語っていた。だが、映画の原作者でもある山田洋次監督は違った。「渥美清さんが仁王様、その足に踏んづけられている天邪鬼が佐藤蛾次郎さん。このコンビなくして寅さんシリーズは成り立たなかった」
大阪府高石市で1944年、歯科医師の四男として生まれた。本名・佐藤忠和。小学生のとき、大阪のテレビ局の児童劇団に入り、子役として活躍する。テレビドラマ「神州天馬侠」の役名から「蛾次郎」とした。
転機は映画「吹けば飛ぶよな男だが」(68年)。オーディションに何と2時間の遅刻。しかも「どんな役をやりたい?」という山田監督の質問に「不良」とだけ答えたそうである。そのふてぶてしさが監督の心を動かしたのだろう。採用となり、希望通り「チンピラ」を演じた。
だが、いざ撮影に入ったら苦労の連続だった。「なかなかOKが出ない。監督は自然な芝居を要求する。いかにも、というのはダメだった」
寅さん映画であのモジャモジャ頭がほぼ完成するのは、吉永小百合さんが出演した第9作「柴又慕情」(72年)のころからだ。「簡単な役でいいなあ」とうらやましがる人もいたが、実は相当難しかったにちがいない。
失敗談は多い。冬。鐘つきシーンの撮影まで時間があり、参道の天ぷら屋で待機していた。店主の勧めで体を温めようとブランデーを飲んだが、酔っ払ってしまい、オーバーな演技となってしまった。帰りのタクシーの中で山田監督からこんこんと説教された。
憧れの嵐寛寿郎と第19作「寅次郎と殿様」(77年)で共演したときは殿様役の嵐をリヤカーに乗せ、走る場面を演じた。
「蛾次郎、もっと速く」と山田監督。何回もやり直す。後ろから「辛抱せいよ、辛抱せいよ。役者は辛抱だよ」と声が聞こえた。嵐だった。
その後、さまざまな映画やテレビドラマに名脇役として活躍したのは寅さんシリーズでの経験が大きかったのだろう。味わいのある昭和の役者がまた一人旅立った。
(朝日新聞編集委員・小泉信一)
※週刊朝日 2022年12月30日号
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Posted by ドラドラしゃっちー at 07:07│Comments(0)
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