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2023年02月03日
「見る」「変える」そして「勝つ」
星野監督は泣きながら大豊に移籍告げた…
最もつらい監督の仕事は「変える」
やり切った立浪監督、使命「勝つ」へ
《2/2(木) 10:13配信 中日スポーツ》

春季キャンプが始まり意気込みを語る立浪監督
◇渋谷真コラム・龍の背に乗って
1年前のキャンプ初日、僕は立浪監督のこんな言葉を書いている。
「見ることですね。あとはコーチに任せないといけない」
監督の仕事とは。僕の問いに対する答えである。それを教えたのが星野監督だとも書いた。評論家時代に訪れた楽天の久米島キャンプで「和義、ついてこい。監督の仕事を見せたるわ」。ブルペンで投球を見守り、うなずいて終わり。だが、見なければメディアに話せない。ほめる。あえてけなす。売り出す。発信力が問われているという話だった。
あれから1年がたち、監督にはもうひとつ「仕事」があることを知った。立浪監督は「それが一番つらかった」と言った。勝てなかったことではない。戦力外、トレード…。言われた側が喜ばないことを伝える。組織のトップに立つ者の宿命だった。
それを教わったのも、星野さんだったのかもしれない。第1次、2次で計11年竜を率いた星野さんが、たった1度最下位になったのが1997年だった。ナゴヤドーム元年。「せっかくの新球場や。みんなをあそこでプレーさせてやりたい」。闘将と呼ばれた男が、時折見せる情があだとなった。広くなった本拠地に、動きの落ちた強竜たちは対応できなかったのだ。大豊と矢野を放出し、俊足好打の関川と好守の久慈を獲得する。夏場には画策し、シーズン終了と同時に発表した。パウエルに見切りをつけ、李鍾範が入団したのもこの年。実に20人が竜のユニホームを脱ぎ、19人が袖を通した。
立浪監督は当時振るわれた大なたを、間近で見ている。昨オフは17人が去り、新たに17人が加入した。星野監督が泣きながら大豊に移籍を告げたように「最もつらい仕事」をやり切った。
「今年は大きく変わる年。必ず結果を残す」と言った。「普通」では変われないと思い知ったからこそ、鬼になる覚悟を決めた。25年前の竜は、リーグトップの盗塁数とチーム防御率で2位に躍進。翌99年にペナントを奪回した。「見る」「変える」に続く監督の仕事は「勝つ」。いや、唯一最大の使命である。
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Posted by ドラドラしゃっちー at 13:00│Comments(0)
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