2023年08月26日
大島洋平選手 2000安打達成!
和田一浩がコーチになって初めて知った
大島洋平“突っ込まない”技術で2000安打
《8/26(土) 19:03配信 中日スポーツ》

通算2000安打を達成し,記念のボードを掲げる大島
中日・大島洋平外野手が通算2000安打を達成した。大学、社会人を経由しての2000安打は大島で4人目だが、3人目の達成者がかつての同僚でもある和田一浩・現中日打撃コーチ。今年からコーチと選手の間柄となったが、後輩の達成をどう見ているのか。
「2000安打を達成する選手になるとは全く思わなかった。強みは足と守備、打つといっても長打がない。彼のようなタイプは毎年、大勢入ってくるし、入れ替わりが激しいからね」。2015年に2000安打を達成した和田コーチだが、その5年前の10年に入団した大島の印象をこう語った。評価は高くない。だが、予想を上回るポイントが2つあった。
「大きなケガをせず、打ち続けて競争に勝ち抜いた。それが一番。体のケアに時間を使って、ていねいにやってきた結果だと思う」。もう1つは打撃コーチに就任した今年、分かったことだという。「打撃フォームは基本的で正直、ずばぬけた技術はない。ただ、彼と話をして分かったことがある。『ボールとの距離を取るために前に突っ込まないこと』を一番意識している。突っ込まないための方法を、いくつも知っているのは自分をすごく理解しているから。自分を知るのは大事なことだと思う」。体のケアと修正力。先輩が認めたのは目に見えない自己分析力だった。
▼大島洋平(おおしま・ようへい) 1985年11月9日、名古屋市緑区生まれの37歳。176センチ、75キロ、左投げ左打ち。徳重小4年から「名古屋平針HBC」で軟式野球を始め、扇台中では硬式のボーイズリーグ「東海チャレンジャー」で投手兼外野手。享栄高を経て、駒大入学後に外野手に専念。4年時に東都リーグでベストナインと首位打者を獲得した。日本生命では1年目から1番打者に定着。2010年にドラフト5位で中日に入団。19、20年に最多安打。12年に盗塁王とベストナイン。ゴールデングラブ賞9度(11、12、14~16、18~21年)は球団最多。16年7月20日の広島戦(マツダ)でサイクル安打を達成した。
【大島2000安打達成メモ】
中日の大島洋平外野手が3回に中前打を放ち、プロ野球史上55人目となる通算2000安打を達成した。1787試合目での到達は歴代9位の速さ。大学、社会人を経ての達成は史上4人目の快挙となった。
金字塔に残り1本で迎えたこの日は「2番・左翼」で2試合連続のスタメン出場。達成の瞬間は3回1死一塁の第2打席。DeNA先発・石田の初球139キロを鮮やかに中前へ運んだ。本拠地のスタンドから大歓声と拍手が送られる中、一塁上で高橋周とDeNA・京田、享栄高時代の恩師・柴垣旭延さんから花束を受け取った。
大島は愛知・享栄高、駒大、日本生命を経て、2010年ドラフト5位で中日に入団。1年目から試合に出場し、10、11年の球団史上初の連覇にも貢献した。プロ3年目の12年に初めて規定打席に到達して以降、今季まで12年連続でシーズン100安打を継続。14年には186安打を放ち、02年の福留孝介に並ぶシーズン安打の球団記録をマークした。19、20年にはセ・リーグ最多安打のタイトルを獲得。さらに9度のゴールデン・グラブ賞や盗塁王(12年)、ベストナイン(12年)に輝くなど長きに渡って竜を攻守で引っ張ってきた。
2000安打到達は球団では7人目。過去には高木守道、谷沢健一、立浪和義(現監督)、谷繁元信、和田一浩(現1軍打撃コーチ)、荒木雅博(現1軍内野守備走塁コーチ)が達成しているが、大島は最も少ない試合数で大台に乗せた。
大学社会人を経ての達成は、古田敦也、宮本慎也(ともにヤクルト)、和田一浩(西武、中日)に次ぐ4人目。大島は1787試合目での達成となり、先の3人で最速で達成した古田の1884試合を大幅に更新した。

2010年の日本シリーズで表彰された大島、和田
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【2000安打達成】
中日ドラゴンズ大島洋平がついに達成!
大学・社会人を経ての達成は史上4人目
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