最近の記事
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 24人
アクセスカウンタ
☆☆☆ドラドラしゃっちー☆☆☆ 《のほほ〜ん日記》 › ドラゴンズ › 立浪竜 2年間の検証&今季の光明《3》

2024年01月14日

立浪竜 2年間の検証&今季の光明《3》

立浪竜 2年間の検証&今季の光明《1》

PL学園の厳しい上下関係
「時代が違うのか?」
立浪和義が語っていた本音…
同期生の野村弘樹
「タツは朝早く起きてグラウンド周りのゴミを…」
《1/11(木) 11:02配信 Number Web》

立浪竜 2年間の検証&今季の光明《3》
中日ファンから絶大な人気を集めていた現役時代の立浪和義
photograph by Hideki Sugiyama

 2年連続最下位から勝負の3年目を迎える中日・立浪和義監督。どうすれば逆風を追い風に変えられるのか――PL学園時代のエピソードやプロ野球関係者の証言、監督2年間の検証を通して、2024年シーズンの光明を見出してゆく。

〈#3「PL学園卒業と星野仙一」/全8回の3回目〉


 上下関係が厳しいPL学園の野球部には「系列」というものが存在した。

 付け人となった1年生はいずれ、上級生となり、付け人を持つ身となる。代々、誰が誰に付いてきたかが「系列」であり、それが後々の語りぐさとなるのである。そして、立浪の系列にあたる先輩が、80年代後半から90年代にかけてPLでコーチを務めた清水孝悦(2024年1月1日より山口県の鴻城高校野球部の総監督に就任)だ。

「同志社大学に通っていた頃、母校のPLのグラウンドに教えに行くと、ひょっこりと1年生が挨拶に来たことがあったんです。『系列の立浪和義です。ユニフォーム洗わせていただきます』とね。その挨拶は完璧やった。さすが僕の『系列』やと思ったよ(笑)」


「PLの学び」と「現代の変化」

 立浪はPLの上下関係について、2018年に行った筆者のインタビューでこう語っている。

《厳しい上下関係はPLだけでなく、どこの学校にも、どんな部活動にも少なからずあったと思うんです。行きすぎた行為は許されませんが、スポーツの厳しさの中から学ぶことはある》

 時代の変化を感じるか――そう問うと、立浪は頷きながら続けた。

《プロ野球に入ることは大変で、入ってからはもっと大変だけれども、社会に出てお金を稼ぐためには、学生時代に訓練、修行を経験していないと、現代の若者はすぐに仕事が嫌で投げ出してしまう。世の中は理不尽なことだらけじゃないですか。最初はどんな仕事でも雑用ばかりですよね。その雑用の段階で会社を辞めてしまう。人生においては我慢しなければならない時期がある。上司に対する挨拶や目上の人に対する気の使い方……そういうのを学ぶためにスポーツがあると僕は思っています。

スポーツって、簡単には上手くならない。根気よく練習しないと、上達しない。その努力の過程が人間を成長させるんです。しかし、最近は小さなことでも問題となり、厳しい指導がやりにくい世の中になった。こちらは正しいことをやっているつもりでも、叩かれて、批判されてしまう。本来、団体競技である野球は助け合いのスポーツ。投手が困っていたら野手が助け、野手が打てなければ投手が抑える。そういう関係性を築くためには、最低限の厳しい指導は必要だと思う》

 まるで2024年の自身を予見しているようでもある。ちなみにこの時、高校3年生で、中日に入団する前の根尾昂についても意見を求めていた。

《すごい身体能力で、学力もすごいと聞いている。そういう選手にはプロに入ってもらいたいですけど、エリート過ぎて心配な部分もある。素材はいいんだろうけど、野球しかない世界に入った時に、野球の頭というのが必要になる。それを持ち合わせているのかどうか……》


盟友・野村弘樹「とにかく観察力があった」

 PL学園の同期生である野村弘樹(元横浜)は立浪のことを「天才肌でありながら、自分に厳しく、我慢強い」と評す。

「よく練習する選手だったと思います。だけど、タツがすごいのは、朝早く起きてグラウンドの周りのゴミを拾うとか、守備に入る時には必ず守備範囲の土をならすとか、そういう野球に取り組む姿勢の部分です。とにかく、目配り・気配りができて、観察力があった。爪切りを先輩に渡す時も、必ず柄の部分ひっくり返してすぐに使える状態で渡していた。監督さんからも『タツ』と呼ばれて可愛がられていた。自分や橋本(清)なんかは、監督さんから名前を呼ばれたことなんてない。いつも『てめえ! このやろー』でしたから(笑)」


「PLの教えが活きると考えたのかも」

 PL教団には「献身(みささげ)」という教えがある。日頃の徳の積み重ねが、結果として野球というスポーツにおける好プレーや勝利につながるという考え方だ。それを実践する立浪は、ミスターPLでもあったのだ。

 立浪は中日の監督に就任して真っ先に茶髪や長髪、ヒゲを禁止し、ドラゴンズナインの身だしなみから正そうとした。立浪をPLに導いた元スカウトの井元俊秀は言う。

「頭髪や身だしなみを正すことで、野球と向き合う姿勢まで正そうという目的があったのでしょう。今の時代に逆行する指導かもしれないが、こういう時代だからこそPLの教えが活きると考えたのかもしれない」


中日入団、星野仙一の期待、新人王…

 隆盛期を迎えていたPL学園に進学した立浪和義は、1987年には主将として甲子園の春夏連覇を達成した。そして同年のドラフトを前に、南海ホークスの監督であった杉浦忠が立浪の獲得を目論んでいた。ところが、直前に中日ドラゴンズの星野仙一が立浪の指名に名乗りを上げ、抽選の結果、立浪と星野の縁が結ばれた。

 中日では1年目からショートのポジションを星野より与えられた。前年にベストナインに輝いた宇野勝に代わる起用だったことから、その期待の大きさがわかる。打率.223ながら新人王に輝くだけでなく、ゴールデン・グラブ賞を受賞した。高卒の遊撃手が新人王を獲得したケースは立浪以後、生まれていない。


 〈つづく〉
(「プロ野球PRESS」柳川悠二 = 文)






カテゴリー=ドラゴンズ ←クリック


最近の記事一覧 ←クリック


ドラしゃち別館『福音の三要素』 ←クリック






  • LINEで送る

同じカテゴリー(ドラゴンズ)の記事
ドラ4連勝! 貯金1
ドラ4連勝! 貯金1(2025-05-03 07:07)


Posted by ドラドラしゃっちー at 17:00│Comments(0)ドラゴンズ
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。